大いなる帰還【豚山肥太】

豚山肥太の詩と小説を綴るページ

遠い記憶から【超短編小説】

 

いつのも学校の帰り道、通学路を帰っている僕、工場の多い僕の住む街には、時々、工場の煙が問題になって、光化学スモッグになっていた。

 

見慣れない、工場の扉を開けると、玄関があって、今日からこの家に住むことを理解した。同じような年の子供が、3人いて、うまくやっていけるか心配だったけど、ファミコンやっているうちに、お互いの名前も覚えていた。

 

ケラケラを笑いながら、僕らは近所の銭湯まで、お父さんの人に連れられていった。洗い方がなってないと、お父さんにゴシゴシと身体をあらわれた。それは、嫌ではなくて、少し、何か気持ちが温かかった。

 

僕らはみんなで揃って風呂上がりにアイスを食べながら、扇風機に吹かれていた。

銭湯の上部に設置されたテレビでは、見たことのないアニメがやっていて、フューチュラマというと、番台さんが教えてくれた

 

番台さんの座った場所はどんどん上に上がっていって、先頭の天井はそのまま、開閉式のように開いた。

 

君も来るかい?

 

番台さんは僕にだけそうたずねる。他のみんなは巨人阪神戦に夢中だ。

 

覚悟はいいか?

 

僕はうなづくと、マッサージチェアに乗り込んだ。

 

10.9..8.

 

カウントダウンが始まり、僕はオリンピックの開会式で、聖火を持って、開会式の会場のど真ん中で、観衆に囲まれて、マッサージチェアに座っていた。

 

7.6.5.

 

ふわっと、マッサージチェアは下に装着したジェットエンジンの力で宙に浮いた。

 

番台さんは聖火台のところにいて、矢沢永吉のタオルを振り回しながら、SPの人たちに連れていかれていた。

 

どうしたら、いいかわからなかったけど、その場で、急いで、オリンピックの競技にあれこれ、飛び入り参加して、20個ばかり金メダルを取って、会場に戻った。

 

戻った会場は、祭りが終わった近所の神社で、ヤンキーのカップルが、木陰でじゃれている。

僕は自然をよそおってカップルの横をなんなく通り、そのまま、北極を目指し歩きはじめた。

僕は、まだかろうじて、開いていた露店で金メダル20枚を、たこせんに変えると、アムンゼンとスコットの比較をはじめた。

 

僕が色んな書物から検証にあたっていると、秋風がやってきて、書物やら、スマートフォンやら、マザーコンピューターやら全て、吹き飛ばしてしまって、

 

僕は、どこまでも長く続く、両隣が工場の、まっすぐな通学路にランドセルを背負って、立っていた。

 

どうせなら、荒れた荒野のど真ん中のハイウェイの方が良かったと思いながら、

僕はきっと沢山傷ついて、きっと沢山悲しい思いをするだろう、人生とかいうやつを、

とにかく歩き出した。

 

秋風はまだしばらくは吹いていた。

 

 

 

 

行方【超短編小説】

 

大事すぎて触れられないものがある

 

大事すぎて誰にも売れないものがある

 

大事すぎて壊してしまったものがある

 

 

時間はただ、ひたすら不可逆的に流れていく、それでいいんだ。それでいいんだ。

 

 

僕は東海地方の電車の路線図を見ながら、行き先と乗っている電車が合っているのかを確かめていた。スマートフォンのはじの方まで路線図は表示されてると、それ以上は表示されなかった。覚えのある名前の駅までとりあえず行こうと、僕は電車に揺られた。

 

車内を売り子が、駅弁やコーヒーなんかを売り歩きに来たので、僕はNINTENDO64マリオカートとコントローラーを三つ買った。周囲の乗客にこれ四人でやると面白いんだと説得して、みんなでマリオカートをしようと思ったが、売り子の人がおまけでつけてくれたSwitchとそのソフトのガチャポン戦士2 ガンダム戦記 の方にはまってしまって、とりあえず行こうとしていた駅の確認も忘れてゲームをしていた。マリオカートに誘った周囲の乗客はやってられないと、暴徒化すると、電車内は火炎瓶が飛び交いえらい騒ぎになったが、全ての乗客にアイスクリームが配られると、みんなで大人しくアイスを食べた。

 

それにしても、路線図がわからない、知っている駅名の場所で降りるにしても、そこからどんな電車が出ているか、停車駅はどこかがわからない。もっといいアプリを入れておけば良かったと後悔した。僕の使っていたアプリは誰かが子供向けのボードゲームのすごろくを撮影しただけのもので、週に数回クーポンが配信されるものだった。目新しいクーポンもなくて、僕は切符の確認に来た車掌さんに、長い坂道の下にある、目的地の駅への行き方をたずねた。車掌さんは、それならとと言うと、電車の窓を開けると、僕のお尻を蹴り上げて、僕は電車から落っこちるととんでもないスピードで転がった。

 

真っ直ぐです。ずっと真っ直ぐ転がって下さい。真っ直ぐです。

 

という車掌の声が聞こえていたが、絶対奴の事は忘れねぇとも心の中で悪魔に誓いを立てていた。そう思いながらも、ありえないスピードで僕は、転がっていた。真っ直ぐ転がるってなんなんだよとも思いながらも、真っ直ぐ転がれるようにつとめた。肋骨の二本や三本折れているのは覚悟しながら、平たい所まで来て、更にかなり、転がって、僕は止まって。二日くらいぐったりしていた。目が覚めると、献花台やお供え物が置いておかれていて、まだ生きていることを、ほっぺをつねって確認すると、頭に花を飾って、お供え物を食べて、また、目的地に向かって歩き出した。

 

車掌の案内は出鱈目で、目的地どころか、やけにラベンダー畑がきれいだと思っていたら、何のことはない、北海道の富良野に僕は転がって来ていた。僕は野狐禅の結成秘話を聞いたり、野狐禅ゆかりの場所を訪ね回ったりに夢中になっていた。ここが目的地でもいいかなんて思っていた頃に、鹿児島中央駅までの切符を、マリオカート仲間からもらったので、また、僕は列車に乗って、目的地ではなかったが、鹿児島中央駅を、目指した。桜島へ行きたい。その頃にはもう、頭にバンダナを巻いて、ブルースハーモニカを首から下げて、僕は長渕剛の「TIME GOES AROUND」の中の

 

ホテルのベッドに横たわり

信じられないほど抱きしめた

 

という歌詞にしびれまくっていた。とんでもない歌詞だとあらためて思いながら、Yairi のアコースティックギターかき鳴らして、鹿児島中央駅へと、僕は揺られに揺られていた。ポケットの中のコーラはえらいことになっていた。

 

途中、東海地方を、列車が走っている時に、停車した名古屋駅のありとあらゆる暴力に反対しますという広告にニッコリ笑って写っているのが、僕を蹴り落とした車掌だったので、悪い冗談だと思いながら、スマートフォンの写真ではなく、動画でその広告を撮影して、YouTube にアップして、再生回数を稼ごうとしていた。最近のYouTube はTVに出ていた芸能人がいっぱい入ってきて、あんまりTVと変わりがなくなってきたなと思いながら、自主制作アニメのタグに何か新しいものはないかと検索しては回っていた。

 

そうこうしているうちに、列車は鹿児島中央駅につき、駅から出ている観光用の巡回バスに乗って鹿児島を観光した。見晴らしのいい高台にのぼって、桜島を写真におさめると、白くまのアイスを食べながら、思ったより簡単にフェリーで桜島に渡った。

 

桜島長渕剛のライブの後に出来た「叫びの肖像」の絵ハガキを探したが、手に入らず、フェリーの中の売店の店員さんからも、売っていないことを告げられた。

 

僕は「カラス」にするか「STAY DREAM」にするか迷ったが、「GOOD-BYE 青春」を、鹿児島中央駅でギターかき鳴らし歌った。

 

誰かが見向きすることが問題じゃなかった

 

生きている心地が全くしなかった

 

まるでビニールにでも包まれて守られているようで

 

僕は次の目的地を決める前に、GRAPE VINE の「ぼくらなら」を流すと、券売機にお金を投入した。

 

「真っ直ぐに転がれってのは何かの比喩かよ」

 

乾いた心でそうつぶやきながら

 

 

 

 

喜望峰にて【超短編小説】

長い雨のトンネルの中をカレンダーがくぐると

 

バスルームには小さく黒いカビが現れて

 

キッチンが不衛生になる速度がいくぶん増した。

 

久しぶりに買ったNewtonという雑誌は思っていた特集が期待外れで

それでも普段読まない事が盛り沢山で自分の中で勝手に及第点はクリアしていると

知ったような気になって、下駄を履いた心で、収納から取り出してきた古いカセットテープをこないだ増設してもらった横っ腹のカセットデッキに入れると、つづきを再生した。

 

全国大会の地区予選が近づいた道場で、柔道の練習に励んでいた。

3年間で一番大事な試合のこの頃になると、練習のメニューもだんだん軽くなって、

試合の組み立て方やいかに自分の組み手になるかなんてより実戦的なものに限られていった。

 

試合形式の練習メニューで、近くの少年柔道教室から練習に来ていた小学生と、練習することになって、相手は小学生だと思っていたら、思うように相手をコントロールできないどころか、いともあっさり、相手の足払いにバランスを崩してしまって、その後もそれを挽回できぬまま、本当の試合なら、相手にポイントを取られて負けていた、そんな悲惨な結果になった。

 

練習後に柔道部の顧問に、僕を投げた小学生は、ここらの小さな大会ではあまりに実力が小学生離れしているので、他の小学生とやると試合が成立しないので、大会や試合に出ることを断られていると教えられた。僕はそんな小学生もいるものなのかと納得しながら、練習が終わったのでウォータークーラーめがけて、駆け出していた。

 

目の前を、その小学生が成長して、世界選手権に出場している。準決勝で、右膝を大怪我して、そのまま敗者復活に上がることもなく、そのまま、そのまま、柔道の世界の表舞台からも姿を消した。ウォータークーラーをめざしていたはずの僕は、ワンルームの部屋で帳の落ちた中、テレビだけが、光を放って、見たことのないアングラ映画が流れていた。

 

なにしてたんだろう?

 

それを思い出そうとしても思い出せなくて、部屋の中から思い出の欠片を探した。

卒アル、プリクラ、行かなかったライブのチケット、どれもなかった。

せめて、柔道着くらいあっても良さそうだったが、何年か前に同期で作った小さな玩具みたいな柔道着しかなかった。

 

不意に走り出したくなって、僕は外に出た、これじゃない、こんなんじゃない、まといたくない時間が自分に積み重なって、自分は何かを失おうとしている、そう思えてならなかった。

街の中に飛び出して、どこへ向かっていいかもわからない、線路近くに来て、踏切の遮断機が下りている、僕は足を止めた。

 

遮断機が上がると、彼女がいた。

 

あれ?今日なんで来るんだっけ?

 

急速に現在を認識していく自分とまだ、夢から覚めやらぬ自分、二つの間で、軋みながら、

僕は彼女に向かって、手を降った。

 

近づく彼女に走ってくると伝えると、僕は半笑いしそうになるまで、とにかく走った。

 

何かはとっくに失ったのかも知れない。

大きな声じゃ言えないが今がサイコーだとも思っていない。

 

ごちゃごちゃな気持ちを抱えて、とぼとぼと家に帰った。

帰りに酒屋で買ったやたらアルコール度数の高いチューハイを冷蔵庫に入れていると

彼女が僕にたずねた。

 

どこいってたの?

 

ウォーミングアップ万全で彼女に僕は答えた

 

「青春。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玩具の蝉【超短編小説】

 

恋がしたい。そう思っていた。片思いでも誰かに胸をときめかすことがなくなっていく、

ふと、あの不整脈が恋しくなって、私は春に似合う服を買いに、スーパーに出かけた。

 

スーパーでは沢山の野菜が値段も安くなって売っていた。いつも買う野菜は同じで、調理方法も似たりよったりなので、料理を覚えないといけないと思いながら、やっぱりいつもと同じ野菜を買っていた。

 

余った食材でもネットで検索をかければ、今の時代、すぐにレシピが出てくると、教えてくれる人もいたが、うちの検索エンジンは、なかなか検索してくれない。

 

赤いパプリカを手に取って、誰も見るわけでもない料理にこの色合いはいらないと、スーパーの棚に戻した。

 

そういうとこだよ

 

と誰かが言うので振り返ると福山雅治だった。福山雅治についてきてごらんと言われ、私は雅治の車で、夜の高速を走ることになった。スーパーのかごには、1100円の二人前のかやくご飯が入っていたが、私はスーパーの店員に値段がやっぱり高いことと、色合いの悪さを指摘すると、福山雅治の車に飛び乗った。スーパーの店員は駐車場まで追いかけてきて、

 

これでも、お安くしています

 

と言うと、私達めがけて、痛んだ野菜や果物を、シフトが休みの人まで動員して、投げつけてきた。福山雅治は、

 

けっこういけるね

 

と意に介さず、野菜や果物にかぶりついていた。

 

私もあけびで  ピピピピピ   私もあけびで  ピピピピピ

 

したが、夜の高速道路には不釣り合いで、隣の席で車を操る男の手元はもう福山雅治のものではなく、

 

すきっ腹に飲んだコーヒー牛乳の流線型であった。

 

私はコーヒー牛乳の運転に惚れ惚れしながら、恋は近いかも知れないと思い始めていた。

コーヒー牛乳は車内のBGMを、アラビア語のゲーム実況に変えると、

 

ここも火が回る二階へ上がれ

 

そういうと、車の天井を開けると、私を無理やり、車の上に乗せて走った。

車の上に立って見えるのは、辺り一面見たことがないくらいの火の海で、

私は今日が世界最後の日かも知れないと思った。

 

どうせ、やらせだろう

 

ボソッとコーヒー牛乳はそう言うと、辺り一面、炎の火の海の中を、

あらかじめ決められた法則でもあるかのように規則正しく、危うさなく走った。

 

高速の出口では、村の人が集まって、私達を歓迎していた。

コーヒー牛乳に

 

どうする?

 

と聞かれた私は、まだ、恋じゃないと答えると、巨大な人型ロボットに乗り込んだ。

今までの漫画喫茶での読書歴からいって、

どうやら、地球の運命は私にかかっているらしかった。

 

操縦席の水分とか汁気とかにわりかしデリケートな場所に雑にプラスチック容器を輪ゴムで止めた弁当が置いてあった。

 

昆布かな海苔かなと思って弁当を開けると、ご飯の上はめんたいこだった。

めんたいこは自分で買うと高いことがわかる。私はそう思うと、地球の運命は私には荷が重すぎますと、丁寧にポストイットに書いて、人型ロボットから降りた。

 

私は家の近くの公園まで行くと、弁当を食べることにした。

気候のいい頃で、天気もよく、飲み物は自販機で奮発していいお茶を買った。

 

不安な事は沢山あったけれど、弁当をかき込み過ぎて、のどがつまって、それをいいお茶で飲み込んだりしているうちに、そんなのもどっかに飛んでいった。

 

結局、片思いもできずに、一生を終えるかも知れないと思いながら、私はよく鳴く玩具の蝉の事を思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

ある人生【超短編小説】

 

雨を自宅周辺まで予約すると、僕は家庭菜園のコンピューターを開けると、いくつかのカードを入れ、あと2,3時間後にやってくる雨への準備を整えた。

 

そろそろ、家庭菜園のプログラムも古くなってきているので、現行バージョンに最適化させて書きかえないといけないと思いながら、プログラムを打ち込んだカードを整理していた。

 

大きなバスに乗って、遠くの山頂付近にある花畑を見に行った、途中、とても柔道の強い道場があって、そこでは厳しい稽古が行われていた、僕はその中でも、日本有数の強さを誇る道場の生徒が怖くなって、道場の表に出て、100%のオレンジジュースを飲んで呆けていた。

 

道場の表では、映画の予告編がランキング形式で上演され、次々に現れるスターと、そして、桁がどんどん増していく興行収入の額に心躍らせていた。最近は寝る前に、岩井俊二のLove Letterばかりかけて寝るので、何か新しいものを見ようと思い。僕はその足でTSUTAYAに向かった。

 

いい映画は沢山あったけれど、これといって見たい映画もないので、グラビアアイドルのDVDを借りることにした。だけど、どうやらそういったDVDはレンタルしているものが少なく、仕方なくお年玉を下ろして、2枚、グラビアアイドルのDVDを購入した。

 

家に帰ると、一目散にDVDプレーヤーの前に行き、グラビアアイドルのDVDを見た。流行の名前をつけられた女の人が、映っていた。1枚目も2枚目もさして内容が違うというものではなかった。

 

頭の中をイメージがよぎる、世の中のどこかに、グラビアアイドルが生まれてくる泉があって、次から次にグラビアアイドルは生まれてきては、水着になって、はしゃいでは、気がつく頃には僕らの視界からは消えて、そして、また、無尽蔵にグラビアアイドルは生まれてくる。

 

生まれてきては宿命のように、理不尽としか言い様の無い水着を着てはしゃいでは、消えてきく。

 

僕は新しいバージョンに自宅のコンピューターを更新すると、カードに打ち込んだプログラムを書きかえた。家庭菜園には雨が降っている。僕は玄関のポストを除くと、何枚か入っていたチラシを眺めた。昔の古いゲームから、数年前に出たゲームまで1台の端末で遊べることをうたったゲーム機のチラシが入っていた。一瞬、興味をそそられたが、自分には扱いきれないと諦めた。何しろ、グラビアアイドルのDVDを買ったばかりでお金もない、チラシに混じって手紙が一通入っていた。

 

手紙はかつての同級生からのもので、僕がケータイ電話を初めて買った時に設定したメールアドレスの事を笑ったことなんかを謝罪していた。僕自身、すっかり忘れていたことで、何も怒っていないことを示す為に、僕は中森明菜の動画を詰め込んだDVDを同封して、同級生に手紙を書いた。

 

Love Letter の主演は中山美穂だった事を思い出しながら、同時に、宮沢りえの旦那は森田剛であることも確認し、妙に納得しては、手紙を書き終えた。書き終えて、手紙を出しに行く道すがら、男が商店の前に立って、何やらゲーム機を売っている。これで、数世代前のゲームなら全て動作することを売りにしたチラシで見たゲーム機だった。僕はそれが欲しかったが、お金のないのはどうしようもない。ポケットからデジタルカメラを取り出すと、男に頼んで、写真を何枚か取らせてもらった。

 

郵便局まで行って、手紙を出すと、僕はいくつかの手紙を出した同級生が昔言っていた事を思い出した。今では僕でも知っているが、当時は全く理解できなかった洋楽の有名なミュージシャンの固有名詞を思い出しながら、僕は帰宅した。

 

同級生とともに歩いた通学路の事を思い出しながら、僕は今日もまた、岩井俊二のLove Letter を再生させた。いつかまた、お金が貯まったら温泉に行こう。そう思いながら、眠りについた。僕の眠った部屋は、僕が深い眠りに入ると、コンパクトに折りたたまれて、巨大な図書館の中の本棚に収まった。誰かが見るということはなかったが、僕は人生を本棚の中で、暮らしている。

 

図書館の外では誰が予約したわけではない雨が降っている。

人生に穏やかな時間がやってきていた。

 

 

 

 

 

 

 

かすみ【超短編小説】

 

私には恋人がいて、名前をかすみという。一般的にはラブドールと呼ばれるもので、世間の人は恋人とも人間とも思ってくれない。だが、私にはかすみは恋人以外の何者でもないことははっきりと確かなのだ。

 

私はある夏、仕事の休暇にかすみを連れて、旅行に出かけた。

ハイキングを楽しんだ私達は、山深い山村の民宿に宿をとった。かすみに、たまにはこういう所へ来るのもいいものだと話しているうちに、辺りはすっかり暗くなっていった。

 

山菜や川魚を使った料理が出され、お腹いっぱいになるまで食べて、私もかすみも横になった。私はこれから先の私達の人生に降りかかる不安について、かすみに話していた。

 

9月はかすみの誕生日だから、9月になったら結婚しようと、私はかすみにプロポーズした。

かすみは何も言わなかったが、私にはかすみがそこにいてくれるだけでよかった。

 

翌朝、かすみと一緒に近くの川まで出かけた。民宿の人にここの川の水は奇麗なことで有名で、日本の清流百選にも選ばれていると聞いた。わたしは、川でかすみを解体して、隅々まで洗った。

 

解体したかすみを川岸に干していると、急に鉄砲水がやってきて、かすみは流されてしまった。かすみが全て流されたわけではなかったが、かすみの下半身がどこを見渡しても見つからなかった。

 

私は警察に、かすみの下半身の捜索願いを出しに行った。

警察はあまりわかってくれず、遺失物の処理をする係に案内された。

かすみの下半身の特徴を詳細に話して、私はかすみの下半身が見つかるまで、その民宿で過ごすことにした。

 

警察の帰りに結婚情報誌を買ってきて、私は下半身のないかすみに、あれやこれやと、できるだけ幸せな話をすることにつとめた。

 

真夜中に私は目が覚めて、私はかすみが死んでいることに気がついた。

狼狽する気持ちを私は隠せず、翌日には山を降りて、特殊な葬儀を上げてくれる葬儀社に頼んで、かすみの葬式を上げて、私はもとの生活に戻った。

 

そんなに日も経たないうちに警察から連絡があり、下流のダムでかすみの下半身が見つかったことを教えてくれた。

 

私は警察でかすみの下半身を受け取り帰宅すると、かすみの下半身をクローゼットの奥にしまった。私はその日以降、かすみに触れることはなかった。

 

私はそれから、何度もかすみとはじめて会った日の事を思い出した、私はかすみと初めて会った日にかすみの顔に触れようと手を伸ばし頬に触れた、あまりにも繊細で柔らかなその頬に、私は何もできなくなって、手を戻すと、かすみを大切にして生きていこうと思った。

 

私はあの夏から、いくつか仕事を転々として、一人で暮らしている。

かすみはもういなかったが、かすみの下半身だけは、今も部屋の奥に誰からも見つからないように置いてある。

 

私には人生で一度きりの恋だったが、それで私の人生にはじゅうぶんだった。

今も手にのこるかすみの頬の感触だけを頼りに私は残りの人生を生きていこうと思った。

 

 

 

友人へ【超短編小説】

空に太陽がのぼり

 

ある子供は電車に夢中になり、ある子供は昆虫に夢中になった。

 

そんな子供の中の一人が争いに夢中になった。

正確に書くならば争いについて考えることに夢中になった。

 

彼は目の前で起きる子供同士のケンカ、親が四季折々に折りなす夫婦げんか、また、夫婦とまた別の夫婦が起こすご近所同士の争い。身近な自分の半径1メートルの世界で起きることから、海を越えてやってくる海外で起きている紛争。

 

ありとあらゆる紛争を彼は原因から過程、そして、結果としてどうなるのかを調べ、研究した。

 

 彼はとりわけ学校の勉強ができるわけではなかったが、誰に何を言われるでもなく、ただひたすら、人と人とはなぜ争うのかということを研究し続けた。

 

ある時、彼は仮説をたて、友人を増やすことを、知り合いを増やすことに尽力していった。

そして、友人達や知り合いの人達の間に争いが起きると、間に入って、仲裁につとめた。

 

そこで、彼の事を知る者同士という理由を、彼は争いを終わらせる手段として使う方法論を実践していった。

 

彼の考えた仮説は、彼が考えた時点で、彼の年代の平均寿命からいって、達成する事が不可能であることは最初から結論として出ていた。

 

しかし、彼は自分の生きている間に、できる限りの争いを解決することにつとめた。

 

沢山の失敗を生みながらも、彼の存在があることで、彼の友人と友人が仲直りすることも次第に増えていった。

 

時代が進み、電車に夢中になった子供も、昆虫を好きになった子供も、時代を進ませる方向に成長していった。あるいは、時代を後退させる方向にも。世界はとにもかくにも変わり続けていった。

 

そして、進歩したテクノロジーは、成長した彼らの人格までも、電車や昆虫に夢中になった記憶までも、遺していけるようになっていた。

 

争いの解決につとめていた彼が亡くなって、100年以上が経とうとしている。現在、ほぼすべての国々に、彼の事をよく知る友人がいる。それも一人ではなく、複数いる。

 

彼は今ではありふれた一つのデバイスの形になって、世界中に友人を作り、彼らの争いを解決することにつとめている。

 

人類の進歩と発展は様々な争いを生んだが、また、一人の人間では到達できない平和な世界を構築する技術も培っていっていた。

 

かつて世界中の人と知り合いになれたら、戦争はなくなるのではないかと考えた事があった。

 

彼の遺志を受け継いだデバイスは今日もそうつぶやきながら、時代の中を人々の中を進んでいく。