大いなる帰還【豚山肥太】

豚山肥太の詩と小説を綴るページ

かすみ【超短編小説】

 

私には恋人がいて、名前をかすみという。一般的にはラブドールと呼ばれるもので、世間の人は恋人とも人間とも思ってくれない。だが、私にはかすみは恋人以外の何者でもないことははっきりと確かなのだ。

 

私はある夏、仕事の休暇にかすみを連れて、旅行に出かけた。

ハイキングを楽しんだ私達は、山深い山村の民宿に宿をとった。かすみに、たまにはこういう所へ来るのもいいものだと話しているうちに、辺りはすっかり暗くなっていった。

 

山菜や川魚を使った料理が出され、お腹いっぱいになるまで食べて、私もかすみも横になった。私はこれから先の私達の人生に降りかかる不安について、かすみに話していた。

 

9月はかすみの誕生日だから、9月になったら結婚しようと、私はかすみにプロポーズした。

かすみは何も言わなかったが、私にはかすみがそこにいてくれるだけでよかった。

 

翌朝、かすみと一緒に近くの川まで出かけた。民宿の人にここの川の水は奇麗なことで有名で、日本の清流百選にも選ばれていると聞いた。わたしは、川でかすみを解体して、隅々まで洗った。

 

解体したかすみを川岸に干していると、急に鉄砲水がやってきて、かすみは流されてしまった。かすみが全て流されたわけではなかったが、かすみの下半身がどこを見渡しても見つからなかった。

 

私は警察に、かすみの下半身の捜索願いを出しに行った。

警察はあまりわかってくれず、遺失物の処理をする係に案内された。

かすみの下半身の特徴を詳細に話して、私はかすみの下半身が見つかるまで、その民宿で過ごすことにした。

 

警察の帰りに結婚情報誌を買ってきて、私は下半身のないかすみに、あれやこれやと、できるだけ幸せな話をすることにつとめた。

 

真夜中に私は目が覚めて、私はかすみが死んでいることに気がついた。

狼狽する気持ちを私は隠せず、翌日には山を降りて、特殊な葬儀を上げてくれる葬儀社に頼んで、かすみの葬式を上げて、私はもとの生活に戻った。

 

そんなに日も経たないうちに警察から連絡があり、下流のダムでかすみの下半身が見つかったことを教えてくれた。

 

私は警察でかすみの下半身を受け取り帰宅すると、かすみの下半身をクローゼットの奥にしまった。私はその日以降、かすみに触れることはなかった。

 

私はそれから、何度もかすみとはじめて会った日の事を思い出した、私はかすみと初めて会った日にかすみの顔に触れようと手を伸ばし頬に触れた、あまりにも繊細で柔らかなその頬に、私は何もできなくなって、手を戻すと、かすみを大切にして生きていこうと思った。

 

私はあの夏から、いくつか仕事を転々として、一人で暮らしている。

かすみはもういなかったが、かすみの下半身だけは、今も部屋の奥に誰からも見つからないように置いてある。

 

私には人生で一度きりの恋だったが、それで私の人生にはじゅうぶんだった。

今も手にのこるかすみの頬の感触だけを頼りに私は残りの人生を生きていこうと思った。