大いなる帰還【豚山肥太】

豚山肥太の詩と小説を綴るページ

喜望峰にて【超短編小説】

長い雨のトンネルの中をカレンダーがくぐると

 

バスルームには小さく黒いカビが現れて

 

キッチンが不衛生になる速度がいくぶん増した。

 

久しぶりに買ったNewtonという雑誌は思っていた特集が期待外れで

それでも普段読まない事が盛り沢山で自分の中で勝手に及第点はクリアしていると

知ったような気になって、下駄を履いた心で、収納から取り出してきた古いカセットテープをこないだ増設してもらった横っ腹のカセットデッキに入れると、つづきを再生した。

 

全国大会の地区予選が近づいた道場で、柔道の練習に励んでいた。

3年間で一番大事な試合のこの頃になると、練習のメニューもだんだん軽くなって、

試合の組み立て方やいかに自分の組み手になるかなんてより実戦的なものに限られていった。

 

試合形式の練習メニューで、近くの少年柔道教室から練習に来ていた小学生と、練習することになって、相手は小学生だと思っていたら、思うように相手をコントロールできないどころか、いともあっさり、相手の足払いにバランスを崩してしまって、その後もそれを挽回できぬまま、本当の試合なら、相手にポイントを取られて負けていた、そんな悲惨な結果になった。

 

練習後に柔道部の顧問に、僕を投げた小学生は、ここらの小さな大会ではあまりに実力が小学生離れしているので、他の小学生とやると試合が成立しないので、大会や試合に出ることを断られていると教えられた。僕はそんな小学生もいるものなのかと納得しながら、練習が終わったのでウォータークーラーめがけて、駆け出していた。

 

目の前を、その小学生が成長して、世界選手権に出場している。準決勝で、右膝を大怪我して、そのまま敗者復活に上がることもなく、そのまま、そのまま、柔道の世界の表舞台からも姿を消した。ウォータークーラーをめざしていたはずの僕は、ワンルームの部屋で帳の落ちた中、テレビだけが、光を放って、見たことのないアングラ映画が流れていた。

 

なにしてたんだろう?

 

それを思い出そうとしても思い出せなくて、部屋の中から思い出の欠片を探した。

卒アル、プリクラ、行かなかったライブのチケット、どれもなかった。

せめて、柔道着くらいあっても良さそうだったが、何年か前に同期で作った小さな玩具みたいな柔道着しかなかった。

 

不意に走り出したくなって、僕は外に出た、これじゃない、こんなんじゃない、まといたくない時間が自分に積み重なって、自分は何かを失おうとしている、そう思えてならなかった。

街の中に飛び出して、どこへ向かっていいかもわからない、線路近くに来て、踏切の遮断機が下りている、僕は足を止めた。

 

遮断機が上がると、彼女がいた。

 

あれ?今日なんで来るんだっけ?

 

急速に現在を認識していく自分とまだ、夢から覚めやらぬ自分、二つの間で、軋みながら、

僕は彼女に向かって、手を降った。

 

近づく彼女に走ってくると伝えると、僕は半笑いしそうになるまで、とにかく走った。

 

何かはとっくに失ったのかも知れない。

大きな声じゃ言えないが今がサイコーだとも思っていない。

 

ごちゃごちゃな気持ちを抱えて、とぼとぼと家に帰った。

帰りに酒屋で買ったやたらアルコール度数の高いチューハイを冷蔵庫に入れていると

彼女が僕にたずねた。

 

どこいってたの?

 

ウォーミングアップ万全で彼女に僕は答えた

 

「青春。」