大いなる帰還【豚山肥太】

豚山肥太の詩と小説を綴るページ

キャベツ畑でつかまえて

キャベツ畑でつかまえて

 

そういうタイトルの小説を書こうかと思うくらい当時の僕の食生活はキャベツ中心で回っていた。生活の困窮は僕の日々の暮らしにも訪問して、勿論、世間にも偏りなく押し寄せていて、僕のケータイの買い物のメモにはいつもキャベツの文字がデフォルトで入っていた。

 

お通じも良くなるキャベツ日和に、それまでの僕のキャベツ生活を旧知のスーパー横三郎のパートのレジマスター、三条院奈穂美は見逃していなかった。ある日もスーパー横三郎でいつもの様にキャベツをふた玉購入すると、三条院の奈穂美は僕にレジの手を止めてこう言った。

 

「あなた、キャベツ屋さん太郎ポイントがついに満額に達したわ。これからは無料で好きな野菜を購入できる横三郎パスを進呈するわ。」

 

よく意味が理解できなかったが、僕はその日からは野菜の買い物で困ることはなくなり、店舗に行かなくても、横三郎専用アプリで野菜を注文するとネットを介して野菜が届いた。はじめは普段、手の出ないトマトやアボガド等を中心に注文していたが、ある時期から管理栄養士セレクトのおまかせの野菜パックを頼みはじめて、それからはその注文が中心にうってかわった。

 

僕はその一方で肉が無性に食べたくなり、スーパー縦三郎で鳥のむね肉を中心に肉を買う生活をはじめた。牛肉や豚肉は横三郎アプリで注文した野菜を転売したお金で手に入れていた。ある時に、スーパー業界の再編成、M&Aが進み、スーパー横三郎とスーパー縦三郎は合併し、新たに名前をスーパー縦横斜め三郎とし、僕の使っていたアプリもそれに伴い統合された。

 

統合されたアプリでは肉と野菜がとめどなく無料で注文でき、僕はその食材を使って、お好み焼き屋を始めた。店員は自分だけのこじんまりした店だったが、質のいい、野菜と肉を使っていたので評判になり、すぐさま行列のできる店に仲間入りするに至った。

 

ある日、テレビ局からバラエティ番組内で取り扱いさせていただきたいという申し出があり僕は快く快諾して、テレビタレントが来た日には塩を撒きに撒いて、最近、どこか行って食レポするバラエティ番組に飽き飽きしてんだということを伝えて追い返した。

 

その事が功を奏したのか、テレビ局もCMをうっているスポンサー達も意識の変革が起こり、バラエティ番組の新しい潮流が生まれ、深夜ラジオの様な造りのバラエティ番組がテレビでも放送されるようになった。

 

僕は腹を抱えながら笑い転げた学生時代を思い出し、なんだか幸せな気分に浸りながら、またお好み焼き屋を訪れたテレビタレントに更に多めに塩を撒きに撒いて、深夜ラジオがいかに面白いかを説教した。

 

この小説は「た。」で終わってばかりだね。と、スーパー縦横斜め三郎内で回し読みされていたフリーペーパー「垂直」についに僕が連載していた「キャベツ畑でつかまえて」の編集者から忠告は受けたが概ね好評で、そのまま、単行本化され、僕の印税生活はスタートした。

 

作家になって、お好み焼き屋の経営も後進に譲り、僕はいい時計を買い、その中で時間を過ごした。あとどれくらい生きられるだろう。あとどれくらいキャベツを食べられるだろうと思いながら、僕の暮らしは暮れていく、走り出した人生列車は止まることを知らず、僕は決裂する感情にあがなわず、最高のキャベツの話を書き上げた。

 

その頃には僕の身体も青虫に相似に近く似通って来ており、青虫達の作ったNPO法人あおむし会からも誘いがかかっていたのもあり、青虫として生きていく事を決意した。

 

長々と書いたがこれが僕の半生であり、今、僕は青虫になり、キャベツ畑で暮らしている。

 

良かったらつかまえてごらん。

 

キャベツ畑でも、街中のゲームセンターでも、オリンピック会場でも。

 

人生にはとてつもない翼を持てる時期があるから