大いなる帰還【豚山肥太】

豚山肥太の詩と小説を綴るページ

ある日

ドアを開ける。眩しい光がいっぱいに飛び込んでくる。

 

さぁ、行くぞ!僕は、右手に持ったビデオカメラで撮影しながら、家を出る。

 

誕生日の今日、これから、40分高校につくまでをビデオカメラに収めようと思う。

 

高校の校長室に行って、昨晩書いた「退学届け」を出しにいくまでを。

 

それは、ノートに40ミニッツストーリーと題されてメモされていた。

 

それは、撮られる事のなかった僕の青春のワンアクセント。

 

現実の僕は、退学届けなんか出すわけでもなく、ただずるずると学校をやめてひきこもった。

 

あれから、四年になる。

 

時間は僕を焦燥感と罪悪感と無力感と混沌に陥らせ、家族を巻き込み、ただ轟音をたてながら過ぎ

 

やがて、僕と家族を静かにさせた。

 

半年前から僕は精神科医と文通をはじめた。

 

静寂の中、誕生日の朝、僕を強い確信が襲った。

 

半月前に精神科医の出した薬のせいだろうか?

 

僕は、“出れる!!”という確信でいっぱいだ。

 

朝の5時だというのに、母を起こす。

 

「母さん、僕、外に出れるかもしれない。」

 

「僕を撮って」

 

そういって、あの日使うつもりだったビデオカメラを母に渡す。

 

「その赤いの押せばいいだけだから、出るとこまで撮って」

 

ジャージ姿の僕を母はうつす、カメラにうつるその姿は四年前と全く姿を変えている。

 

伸びきった髪、体重は100キロを越えた、眼鏡は顔にめりこんでいる。

 

靴紐を結び終え、僕は、ドアを開ける。朝の光がわずかだが入ってくる。

 

さぁ、行くぞ!僕は、手に汗を握りしめ、家を出る。

 

母が4年ぶりの僕の姿に動揺しながら

 

「大丈夫?」

 

と言う

 

「いってらっしゃいやろ」

 

僕の返しに母はどもりながら

 

「いっ、いってらっしゃい」

 

きっとそれは40分じゃ終わらない話の始まり。

 

ずっとつづく僕の始まり。

 

20の誕生日に僕は、再び産声をあげ、歩き出した。

 

2004/8/26