大いなる帰還【豚山肥太】

豚山肥太の詩と小説を綴るページ

火事【超短編小説】

火の行く手早く 父さん 母さん 追いつけない 燃え盛る 火の中に
たくさん たくさん 思い出あったのにな たくさん たくさん 大事があったのにな
大事の大事のあったのにな

僕が中学に上がる前に、我が家は全焼し、僕ら家族はこの街から、少し遠くの街で新しい生活をはじめた。今でも消防車のサイレンが複雑に鳴り響く音を聞くと、僕はまるで、夏祭りの最中のような、何もかもが燃えたあの「火事」の事を思い出す。家族も僕も随分と、それからの生きる道を変えられた。あの日の事は、まだ、僕ら家族には過去になりえない。

どういう選択肢があったのだろう。繰り返し考えられるのは、その事で、選択肢の出現は火事の1年以上前から始まる。そこから、あれがやれた、これができたはずだで、ぼぅっと、僕の中学時代は終わってしまった。高校生になってから、僕はよくこの街に来るようになった。スマートフォンで、焼けた家のあった場所の空を撮ったり、家の近くの草を持って帰ったり、休みの日は、焼けた家の後にできた家を見ながら、かつてそこにあった、僕ら家族の家をスケッチした。

時間は逆には回らない。喪失したものが大きすぎたのか、僕ら家族は一生かけてもあの火事から立ち直れそうにない。虫に刺された後をかいているうちに悪化して膿んでくる。そんな風に僕ら家族の中であの火事は膿んで治ることはなかった。

家の構造が少し変わっていて、風呂場には二つドアがあって、木で炊くって程は古くはないけれど、それでも随分古い風呂で、ドアの一つは中から開けるのに少しコツがいって、この家の誰もがそれは知っていて。

うちは晩御飯の前に風呂に入る。昔からの決まりで、その日もそうだった。母は天ぷらを振る舞おうとしていた。兄と今度結婚する花嫁さんが家に来ていて、母は天ぷらの鍋から目を離してしまった、時間がほんの少しあって、火の回るのは早くて、逃げ道はすぐになくなって、風呂場のドアの開け方がわからなくて、燃え盛る家をぼんやりと見つめていた。

花嫁が燃えていた。
そのことを家族の誰もがわかっていた。

不幸はどうしたらなくなるのだろう。なぜ、何もしていない人が死ななければならないのだろう。どうして、母さんはご飯が食べられなくなったのだろう。なぜ、人は泣いても泣いても涙が出るのだろう。どうして人は生きてしまうのだろう。



どうして火は燃えるのだろう
どうして人は燃えるのだろう