大いなる帰還【豚山肥太】

豚山肥太の詩と小説を綴るページ

化けものの口【小説】

海沿いの街で、僕は幼少期を過ごした。

 

その年の夏は普段より雨粒が荒れ狂い、嵐の多い夏だった。

僕らの地域に古くから伝わる、子供から大人への通過儀礼として行われる、

〝化けものの口〟という慣習が、あった。

 

海沿いの波に削られた岩場と洞窟が、まるで、〝化けものの口〟に似ていること。大人達は酒盛りをひらく理由を一つ、作りたくて、その慣習を受け継いでいった。

 

僕らはその日、友人づてに、連絡が回り、〝化けものの口〟に集まった。岩場の安定した場所には、地域の出来上がった親父達が、いくつもの酒や肴を前にして、僕らの〝化けものの口〟からの帰りを待っていた。

 

口と呼ばれる洞窟には、一人で入らなければいけない。そして、ただ、真っ直ぐ進む、そこに何があるのかはわからない、次第に真っ暗になり、何も見えなくなるが、そこで、勇気を出して、真っ直ぐ、進めば、

 

携帯にメッセージが入る、ケンジからで、今夜会って飲まないかと聞いている。何が食べたいと続けて聞いてくるので、8時に、大都市のシンボルマークの下で待ち合わせた。

 

鳥が食べたいと僕は答えた。

 

少年期の終わりの通過儀礼の事を鈍く思い出しながら、僕は日々痩せ細っていく自らの身体を抱えていた。僕の身体はどんどん、栄養の吸収が悪くなる。色んな食べ物が上手く消化出来ないでいる。減っていく体力。ケンジが来る前に、シンボルマークの下で、医師から出されている薬を一つ、二つ飲み込んだ。

 

ケンジが、遠くから大きく手を振っている、ハッキリとわかる。今度でいくつ目の出店になるだろう。まるで、翼でもあるかのように、ケンジはこの大都市を飛び回っている。

 

ケンジの案内で入った落ち着いた個室の居酒屋で、僕らは恒例のくだらない話を何度目になるかもわからないトレースをして、同じ箇所で笑っていた。この時ばかりは、あの頃に戻れた。鳥を食べたがる理由をケンジに聞かれたので、

 

「だって、こいつ、大空だって、自由に飛べるじゃん」

 

そういって、顔を見合わして、二人で馬鹿みたいな大きな笑い声を上げた。

 

夜の大都市の真っ暗な星も咲かない夜の中を、ケンジと二人、ふらふらと歩いた。

 

僕の病気を、ケンジは知らない。そんなに薬も持続して効くわけでなく、一定を超えた段階から、消化機能はパンクする、今日はもうパンクする領域ははるかに越えていた。

 

僕は、トイレを見つけては、穴という穴から吐瀉物を吐き出した。意識も悪くなっていく。心配するケンジは、タクシーを拾い、救急でやっている病院を探してくれたが、僕は断りを入れて、ケンジからチケットをもらって、帰宅した。

 

帰宅して、医者の薬をとると、消化器が安定するまで、しばらく、玄関でうつぶせになっていた。ケンジからのメッセージが心配しているので、安心させるように、送って、僕はそのまま、玄関で眠った。

 

夢を見ていた、〝化けものの口〟を一人で進んだ夜のこと。

 

あの頃の僕には〝化けものの口〟は怖くて進めなかった。途中で引き返し、洞窟の中で迷い。えらい騒ぎになったもんだ。

 

ただ、真っ直ぐ進む、そこに何があろうと、どれだけ真っ暗でも、信じて進め。

 

夢の中で、僕は、〝化けものの口〟を通りおえ、出口で月の光と星くずたちに照らされて、確かな未来にいた。

 

まだ、夜も明けぬ早朝に、ケンジに、電話をかけた。ケンジは、寝ていたようで、とにかく、安心して、そして面倒くさそうだった。

 

「ありがとう、暗闇でも進むよ」

 

意味を受け止めきれていない、面倒くさそうなケンジは、なにかわかったようなことを言って、電話を切った。

 

ワンルームの窓際に置いた机の上に朝の光が上ろうとしている。

 

僕は進むことにした。