大いなる帰還【豚山肥太】

豚山肥太の詩と小説を綴るページ

平凡な人生【超短編小説】

彼はバブル経済が上りつめる少し前の日本に両親の愛をしこたま浴びて、この世に生まれた。
両親には奇跡にも思えた出生だったが、彼が生まれた産婦人科では、どこにでもよくあるありふれた出産で、とりわけ
彼の人生のその後を心配する事もなく、彼は母親とともに病院を出て、まだ稼ぎも貯蓄も無い両親とととに、長屋のようなアパートで暮らしはじめた。

祖父、祖母にとって初孫だった彼には、遠方から祖父祖母がやってきて、生まれたばかりの彼を抱いて、何枚も写真を撮った。彼の人生はその頃の写真が一番多い。

彼はアパートですくすくと育ち、ランドセルを背負って小学校にも行き、友達も出来た。
目立って何かが出来る訳ではなかったが、目立って何かが出来ない訳でもなく。
平凡な人生かも知れないが、幸せに生きていってほしいと両親はそんな思いで彼を育てた。

彼の人生が少し変わりはじめるのは、彼が小学校でいじめに合い始めた頃からだった。
特段、特別な事情があったわけではなく、この時代の彼の生まれた国では、ごくごく
ありふれた〝平凡ないじめ〟でしかなかった。

彼は学校に通えなくなった。通わなくなったというよりは、通えなくなった。
一日中、両親がローンを組んで移り住んだマンションの自分の部屋で、彼は一日中、彼の〝平凡な人生〟を生きていた。彼が学校に行かなくなって両親は、知り合いのつてを頼って高名な教育評論家の元や、児童に関する精神科医のもとを訪れ、どうしたらいいか?とにかく胸に溢れる彼に対する心配な事を相談した。彼に対する彼のこの後の人生に対する愛を僅かも惜しもうとせずに。いくつも本を買って、色んな事を彼に対して救援物資のように、与えようとした。

彼は、それでも、自分の部屋からでることはなく、時々、ストレスをため込んで、まだ、ローンもまだの部屋の壁に穴を開けて、奇声を上げて暴れた。

彼には誰も話をできる人はいなかった。彼の心の中は彼自身が自分で鍛え上げ育て上げた激烈な言葉達で、深くエグく傷をつくる事を繰り返した。もう取り戻せない程に、を何度も繰り返す程に彼は、自分のいじめの参加者に最大の権力者として自分自身が参加した。

もう、いじめをはじめたクラスメートも、彼の部屋にはいないのに、彼だけが彼をいじめることを止めなかった。また、そうする事が精神的に一番落ち着く事だった。

蝉がいつもより鳴く盛夏の頃だった。蒸し暑い夜中の2時を回った頃、彼はパジャマ姿のまま、マンションのベランダから飛び降りて、そのまま亡くなった。

遺書は無かったが、彼の部屋からはいくつもの作品と呼ぶにはあまりにも未成熟な詩や小説や、叫びのようなイラストが大量のノートに書き残されていた。

彼の人生は、この国の今では特段、珍しくなく、どこの地方のどこの地域にもよくある〝ひきこもり〟で原因は〝いじめ〟で、彼の最後もありふれた〝自殺〟だった。

大きな長い河の行く末を人々は知らない、私たちの毎日は今日を生きることであふれている。

誰かを助けようとすることすら、決して簡単な事ではない。

この国では彼のような人生は決して珍しくない〝平凡な人生〟なのだ。